【気候変動に挑む】北極海航路の開発と環境保全を目指して

北極域研究センター 教授 大塚夏彦

大塚夏彦教授に聞く、気候変動研究者への15の質問

気候変動の影響が顕著に現れる北極域。海氷の減少に伴い、北極域は以前よりアクセスがよくなり、資源開発、観光開発などの様々な開発が始まっています。なかでも北極海航路の開発を取り巻く課題について、北極域研究センターの大塚夏彦教授に伺いました。

北極域という場所

北極と南極の大きな違いは、北極域には400万人もの人々が住んでいて産業も工業もあることです。ただし、自然環境のこととなると、観測や調査が容易な場所ではありませんし、寒くて非常に過酷な環境ですから、そこで何が起きているのか、まだ分からないことが多いのです。北極域研究センターの研究者は、様々な角度から北極域の研究をしていますが、私はロシア沿岸を通る北極海航路が安全かどうか、十分な利用価値があるかどうか、環境にどのような影響を与えるかといったことを研究しています。

ロシアの原子力砕氷船から見る厚い氷や積み重なった氷に覆われた北極海。こうなると砕氷船でなければ航行できない。(提供:北極観測支援機構 内海啓司 氏)ロシアの原子力砕氷船から見る厚い氷や積み重なった氷に覆われた北極海。こうなると砕氷船でなければ航行できない。(提供:北極観測支援機構 内海 啓司 氏)

北極海航路が注目される理由

北極海航路が注目されるようになったのには幾つかの理由があります。まず、近年の温暖化で北極海航路が必ずしも氷で閉ざされていないこと。北極域は地球の他の場所と比べて約4倍のスピードで温暖化が進んでいると言われます。近年、ロシア沿岸を通る北極海航路では、毎年夏の間は無氷状態になります。さらに、2008年の米国レポートにより、北極海の石油や天然ガスといった地下資源が注目されるようになりました。多くの埋蔵量があり、「中東に依存しないエネルギー源」として各国が関心を寄せ、地下資源の輸送のためにも北極海航路に注目しています。

実際に北極海航路が使われ始めたのは1990年代からです。ソビエト連邦の崩壊に伴い、ロシアが国の政策として北極海航路を外国船に開放しました。国際的な商業利用に使われるようになったのは2010年頃からです。

北極海航路の利点と課題

ロシアの沿岸を通る北極海航路が使えるようになると、ヨーロッパ〜東アジア間の海上輸送距離が、地中海・中東ルートと比べて、約4割も短くなります。そうすると、消費する燃料が大幅に削減できますし、輸送コスト、輸送スピードが格段に改善されます。燃料消費の削減は温室効果ガスや汚染物質の排出の削減にもつながります。また、ヨーロッパと東アジアが接近することで、新たな経済面、文化面の交流や国際関係が生まれる可能性もあります。

北極海航路(青)は、地中海・スエズ運河ルート(赤)と比べて約4割短く、その分、燃料消費や輸送コストの削減、輸送スピードの向上が期待できる北極海航路(青)は、地中海・スエズ運河ルート(赤)と比べて約4割短く、その分、燃料消費や輸送コストの削減、輸送スピードの向上が期待できる

一方、船が通ることによる環境影響もゼロではありません。もし北極海で事故が起こると、燃料流出などのリスクもあり、必ずしも良いことばかりではありません。また、海氷動態の予測はまだまだ容易ではなく、昨年の冬には急に氷が張ってきて、20隻ぐらいの貨物船が氷の中に閉じ込められてしまう事象もありました。ロシアを取り巻く政治状況も不安定要因の一つになっています。

ロシアの原子力砕氷船。氷の厚い時期にタンカーなどが航行するには、原子力砕氷船による先導が必要。(提供:北極観測支援機構 内海啓司 氏)ロシアの原子力砕氷船。氷の厚い時期にタンカーなどが航行するには、原子力砕氷船による先導が必要。(提供:北極観測支援機構 内海 啓司 氏)

先住民族への影響

北極域には多くの先住民族が暮らしています。温暖化と北極海航路の活用は、先住民の人々に多くの影響を与えると思います。例えば、海氷の消失によってクジラやアザラシの伝統的な狩猟が難しくなってきています。さらに、北極域の観光クルーズも注目されていて、観光客の流入による環境面、文化面での影響も心配されています。一方で、先住民の人々の中には、北極海航路の開発を好機と捉え、伝統的に行っていたトナカイの牧畜を活用して、トナカイ肉の輸出を模索している人たちもいます。北極海航路の活用は、単純な資源輸送の話ではなく、こういった複雑な社会的課題も絡んでくるのです。

(左上)冬のイベントで先住民族の伝統的な衣装を着た若者(ロシア、ノリリスクにて)。手に持っているのは太鼓。(右上)シャーマンの女性(サハ共和国、ヤクーツクにて)。(左下)伝統的なヤクート料理ストロガニーナは冷凍した淡水魚の身(ロシア、サレハルドにて)(提供:北極域研究センター 大塚夏彦 教授)(右下)フランツヨシフ諸島の岩肌に止まる海鳥の群を観察するクルーズ船の観光客。(提供:北極観測支援機構 内海啓司 氏)(左上)冬のイベントで先住民族の伝統的な衣装を着た若者(ロシア、ノリリスクにて)。手に持っているのは太鼓。(右上)シャーマンの女性(サハ共和国、ヤクーツクにて)。(左下)伝統的なヤクート料理ストロガニーナは冷凍した淡水魚の身(ロシア、サレハルドにて)(提供:北極域研究センター 大塚 夏彦 教授)(右下)フランツヨシフ諸島の岩肌に止まる海鳥の群を観察するクルーズ船の観光客。(提供:北極観測支援機構 内海 啓司 氏)

現地で感じる環境の変化

私自身は、氷河の上を歩いて調査するといった研究はしていませんが、沿岸の町や港を訪ねて、現地の経済活動や航路の利用状況を調べて回っています。現地の方の話を聞くと、森林火災が深刻化しているとか、凍土が溶けて道路を壊しているといった話を聞きます。実際、ロシアの国土の60%は永久凍土ですが、これが溶けることで燃料タンクが破壊し、油が流出するといった事故も2020年に起きています。その他にも、資源開発が行われると、そこには必ず環境整備も行われますので、遠隔地でも携帯電話やインターネットが普及するというようなことも起きます。

融解するサハ共和国の永久凍土(提供:Alexander Kononov 氏)融解するサハ共和国の永久凍土(提供:Alexander Kononov 氏)

活用と環境保全の両立を目指す

私自身は、北極海航路の経済性や環境影響、さらには船に必要とされる性能、物流ネットワークへの影響といったことを研究対象にしています。例えば、衛星観測で氷と船の動きを観測して、安全な航路を探索したり、企業と一緒になって経済合理性のあるビジネスモデルを検討したりといったことです。私だけでなく、そういった数多くの研究や働きかけの結果として、例えば、船の燃料に重油を使わないことが国際的に合意されました。また、クジラやアザラシが子育てをする海域は通らないようにすることも検討されています。ただ、そのためにはまず、これらの動物の北極域での生態を明らかにしなくてはいけません。幸い、北大には海洋学、理学から政治学まで多様な研究者がいますので、連携して研究が進められます。

衛星観測により北極海航路を航行する船舶の航跡を調査した例衛星観測により北極海航路を航行する船舶の航跡を調査した例

私自身の研究目標は、北極の環境を保全しながら上手に利用するための知見を提供することです。これからも数十年単位で北極海の氷は減り、北極海航路の活用は進んでいくと思います。ひとたび事故が起これば、環境汚染に直結しますし、経済合理性はなくなってしまいますから、安全運行のための研究は特に大事だと思っています。

北極海の固有種セイウチ(提供:北極観測支援機構 内海啓司 氏)北極海の固有種セイウチ(提供:北極観測支援機構 内海 啓司 氏)

北極域は世界中とつながっている

先にお話しした通り、北極域は地球全体の平均よりも約4倍の速さで温暖化が進んでいます。ですから、様々な環境影響が他の場所よりも早く現れます。それに対する適切な対処法を見出せれば、日本だけでなく、世界の多くの場所で役立てられると思います。そして、海は世界中つながっていること、風は北極からも吹いていることを想像してみてください。北極の気候変化は世界各地の熱波や厳冬といった極端気象の遠因になっていることも十分に考えられます。北極のことを遠い話と思わず、他山の石にして、地球全体のこととして考えて欲しいと思います。また、自分の分野に閉じ籠らず、色々な分野の人と協働して共通の課題に取り組んでいくことが大事です。そうすることで初めて実際の社会に役立つ成果が提供できるはずです。

北極域研究センター 大塚夏彦 教授北極域研究センター 大塚 夏彦 教授

コラム:北極域を多くの人に見てもらいたい

北極域というと、とんでもない地の果てのようなイメージを持っているかもしれませんが、実は割と簡単に観光で行くことができます。真冬に行くとやはり大変ですけれども。アイスランドには会議で度々行きましたが、現地の自然はとてもダイナミックで見応えがあります。寒冷地ならではの生活習慣や食文化も体験することができ、とても魅力的です。北極の素晴らしい環境を是非多くの人に見ていただいて、そこで感じたものを持ち帰り、普段の生活が少しでもエコフレンドリーになることを願っています。

北極域の美しい街の一つ、ノルウェーのトロムソ(提供:大塚夏彦 教授)北極域の美しい街の一つ、ノルウェーのトロムソ(提供:大塚 夏彦 教授)

ウェブ特集「気候変動に挑む」
南極の海と海面上昇のつながりを探る

[企画・制作]
北海道大学広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門
南波直樹(取材・文)
Aprilia Agatha Gunawan(撮影)
Pinto Sohail Keegan(撮影)

[制作協力]
株式会社スペースタイム(動画編集)