
●Design for Military Hall, Sapporo Agricultural College
(北大附属図書館所蔵)
- ◆建築基本データ
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- 所在地 : 札幌市北区北1条西2丁目
- 建築年 : 明治11(1878)年
- 構 造 : 木造2階建て、鉄板葺
- 設 計 : 開拓使工業局営繕課(ホィーラー、安達喜幸)
- 施 工 : 若杉久十郎
- 国重要文化財

●1879年の札幌農学校配置図
(Kaitakushi, Second Annual Report of Sapporo Agricultural College.)

●1879年頃の演武場 時計塔はまだない
(北大附属図書館所蔵)
わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。
この一文は札幌市民憲章の前章で、時計台とは通称「札幌市時計台」、すなわち旧札幌農学校演武場のことを指す。札幌市民に広く親しまれているこの建物は、北海道大学の前身である札幌農学校の草創期を象徴する建物のひとつであるが、このことを知る北大生は意外に少ない。ましてや、創建当初は時計塔がなかったことを知る人となると数はさらに減るだろう。
「演武場」の響きから演芸や武芸を想像し、現在の体育館のような用途と考えられがちだが、実際は違う。Military Hallの翻訳で、軍事教練を目的とした施設であった。
札幌農学校初代教頭W・S・クラークは、アメリカ南北戦争に士官として従軍した経歴を持ち、彼は札幌農学校のカリキュラムに「兵学及ビ戦法Military Science and Tactics」を提示し、在学中の4年間を通して毎週2時間の「武芸Military Drill」を課した。しかし、1876年の開学時には、寄宿舎と講堂一棟(北講堂)しかなく、この「武芸」を行う施設はまだなかった。
クラークの後を受けて教頭となったW・ホィーラーは、同年9月に校長調所広丈宛にれんが造3階建ての農学本館と木造平屋の練兵館の新設を要求する。しかしこの提案は聞き入られなく、翌年1月に妥協案として、この二つの機能を併せ持つ演武場を提示した(上図)。
1階の両翼には英語・精神科学、農学・植物学の講堂が位置し、奥は鉱物学・地質学・植物学・農学の標本陳列棚を配置した博物場に充てられた。2階は84フィート(約25.6m)×40フィート(約12.2m)の演武場とし、片翼に武器庫を据えた。この図面には仕様説明が添付されていて、そこには、各階とも天井高を12フィート(約3.7m)とすること、骨組みは頑丈に造ること、ホールに柱を立てないよう屋根を組むこと、窓はアメリカ風の上げ下げ窓とすること、などが記述されている。
演武場は、ほぼこの提案通りに造られ、1878年10月16日に開業式を挙行した。右に掲げた写真が竣工時の全貌を今に伝える唯一のもので、時計塔ではなく小さな鐘楼が載る。時計の設置は開業式に出席した開拓長官黒田清隆の発案による。
(いけがみ しげやす)