【気候変動に挑む】氷河の底から探る、海洋・生物・社会への影響

低温科学研究所 教授 杉山 慎

〈写真〉低温科学研究所 杉山 慎 教授。居室にて(撮影:広報課 学術国際広報担当 川本 真奈美)

杉山 慎 教授に聞く、気候変動研究者への15の質問

南極、グリーンランド、山岳地域で氷河・氷床の研究をしている北海道大学低温科学研究所の杉山慎教授のモットーは、実際に現地に足を運んで観測すること。そして、自然環境の変化がもたらす現地の人々の暮らしへの影響についても関心を持つことです。

末端が海に流れ込むグリーンランドのボードイン氷河(2013年撮影、提供:杉山慎 教授)末端が海に流れ込むグリーンランドのボードイン氷河(2013年撮影、提供:杉山 慎 教授)

地球上の氷河・氷床の融解が進んでいる

陸の上に積もった雪が、自らの重さで圧縮され大きな氷の塊となり、ゆっくりと流動するようになったものを「氷河」といい、なかでも、大陸規模で陸地を覆う大きな氷河は「氷床」といいます。地球上の氷河・氷床の90%は南極にあり、約10%はグリーンランドにあります。ここ数十年の間にこの氷河・氷床の融解が、特にグリーンランドで急速に進んでいます。またこれまで融けにくいと考えられていた南極氷床でさえ、近年融解が進んでいることが明らかになってきました。
融けた水が大量の淡水として海に流れ込むと、今度は海水の循環を変え、さらに海洋全体の物質や熱の循環を変えてしまい、地球全体の気候、海の生態系にも影響が及びます。 また、氷河の融解によって剥き出しになった地面は不安定で、土砂崩れや地すべりなどが起きやすくなります。
私は、このような氷河・氷床の融解の進行や、そのメカニズムを調べ、今後の予測と引き起こされる影響について研究しています。

杉山教授らが研究に通うグリーンランドの小さな村、カナック。(2012年撮影、提供:杉山慎 教授)杉山教授らが研究に通うグリーンランドの小さな村、カナック(2012年撮影、提供:杉山 慎 教授)

現地だからこそ見えてくること、わかることがある

現在は、人工衛星を使った宇宙からの観測や、コンピューターを使ったシミュレーションでも氷河・氷床を研究することが可能です。しかし、私は現地に行くことを大切にしており、現地だからこそ見える風景、得られるデータが重要であると考えています。今、特に取り組んでいるのが、氷河の上から熱水を使って直径15センチメートルほどの孔を掘り、数百メートル下の地面との境がどうなっているか、実際に覗いて観察する調査です。また、南極やグリーンランドに加えて、南米パタゴニアにも行き、各地の氷河・氷床の融解の仕組みの比較も進めています。
南極と違いグリーンランドには人が住んでおり、氷河の融解によって、飲み水の水質が変わる、土砂災害に巻き込まれるといった問題が起きています。一方で、氷で港が閉ざされる期間が短くなるなど、現地の人にとって悪いことばかりではありません。
このように、氷河・氷床の研究は、広くは大気、気象、海洋の分野とも結びつき、その影響を考えると社会学の分野にもつながっていきます。

グリーンランド北西部で海に流れ出すトレイシー氷河(2013年撮影、提供:杉山慎 教授)グリーンランド北西部で海に流れ出すトレイシー氷河(2013年撮影、提供:杉山 慎 教授)

見えてきた、氷河・氷床の融解を加速する要因

ここ数十年で、グリーンランドの氷河・氷床が急激に融解するメカニズムが明らかになってきました。最初にわかったことは「場所」です。急激な融解は、氷河・氷床が海に流れ込む場所で起こっていることがわかりました。そのような場所では氷が海に向かって流れ出す速度が速くなっていました。氷河が海に接触することによって融かされたり、氷山として氷のまま海に切り離されることが氷河の融解を加速させていたのです。

海に流れ込む場所で氷の流れが加速するメカニズム。陸地に沿って氷河・氷床が流れ、海に到達すると、氷の底面は浮力によって陸から離れて海に浮く。陸地との摩擦がなくなることで、氷の流れが加速する。また、海水は大気より温度が高いため、氷の底面の融解が進む。薄くなった氷河は、末端部分で崩れ、氷山となって流出していく。氷河・氷床の流出を抑えていた末端が無くなると、さらに氷河は海に向かって流れ出す海に流れ込む場所で氷の流れが加速するメカニズム。陸地に沿って氷河・氷床が流れ、海に到達すると、氷の底面は浮力によって陸から離れて海に浮く。陸地との摩擦がなくなることで、氷の流れが加速する。また、海水は大気より温度が高いため、氷の底面の融解が進む。薄くなった氷河は、末端部分で崩れ、氷山となって流出していく。氷河・氷床の流出を抑えていた末端が無くなると、さらに氷河は海に向かって流れ出す

さらに、氷河の表面が黒や灰色になる現象が起きています。その主な原因は、バクテリアや藻類といった微生物の繁殖です。この現象は、以前はヒマラヤやアルプスといった比較的低い緯度にある山岳氷河ではよく見られていましたが、近年、極域のグリーンランドの氷河でも起こるようになりました。氷の表面が真っ白であれば、太陽光の60〜70%くらいを反射し、氷河は太陽エネルギーの多くを反射します。しかし、表面が黒くなるにつれ、太陽光を反射しなくなり、遂には70 ~ 80%の太陽エネルギーを吸収するようになります。これもまた氷河・氷床の融解速度を上げている原因のひとつです。

バクテリアや藻類の影響で表面が黒くなったグリーンランドの氷河(2014年撮影、提供:杉山慎 教授)バクテリアや藻類の影響で表面が黒くなったグリーンランドの氷河(2014年撮影、提供:杉山 慎 教授)

氷河の短時間の変化に注目

氷河の研究は、さまざまな空間スケール、時間スケールで行われています。私の研究の特徴は、他の氷河の研究と比べると、空間スケールが狭く、時間スケールが短いことです。氷河は年単位で数センチしか動かないという印象を持っているかもしれませんが、私がよく観測に訪れている氷河は、1日に1メートルほど動きます。GPSを使ってこの氷河の動きを数分単位で測定すると、1日の中でも昼間は速く、夜はゆっくりと動くことが分かります。
氷河が崩れて海に流れ込む瞬間や、海の中でどのくらいの速さで溶けているのかなど、その場でその瞬間に起きている現象を明らかにしたいと思っています。
狭い空間スケール、短い時間スケールで研究しているのは、もともと物性物理学が専門だったことが関係しているかもしれません。物質に起こる小さな変化を1000分の1秒の単位で計測していたことから、短い時間スケールで起きる現象に本質を見つけることが自分には合っているのだと思います。

氷河の底に隠された謎を解明したい

2021年〜2022年にかけて南極のラングホブデLanghovde氷河で、氷河の底を調べる掘削調査等を行なった。(2022年撮影、提供:杉山慎 教授)2021年〜2022年にかけて南極のラングホブデLanghovde氷河で、氷河の底を調べる掘削調査等を行なった(2022年撮影、提供:杉山 慎 教授)

最近進めている研究は、カービング氷河という海や湖に流れ込んでいる氷河の末端の調査で、なかでも私がやりたいと思っているのは氷河の底の研究です。氷河が地面が接する底面の状況で、氷の滑り方、氷の流れ方が変わります。また、氷河の解け水が、氷河の底を通ってどのように海へと流れるのかも関係してきます。南極では、氷床の下に大きな湖があることが発見されており、氷河・氷床の下はまだ解き明かされていない領域の一つと言えます。
氷河の末端が海や湖に流れ込む近くで、氷河の底がどうなっているのか、海とどのように繋がっているのか、カービング氷河の下に生き物はいるのかなど、たいへん興味があります。

熱水掘削調査によって氷河の底を調査している様子(提供:杉山慎 教授)熱水掘削調査によって氷河の底を調査している様子(提供:杉山 慎 教授)

専門領域を超え、さまざまなアプローチで研究に挑む

氷河・氷床の研究をきっかけに、さまざまなの分野の研究者とつながり、今、地球で何が起きているかが少しずつ見えてきました。氷河が融けることで現地の人々にどのような問題が起こるのかについても、社会科学の研究者に丸投げするのではなく、一緒に研究することが必要だと気づきました。今起きている気候の変化を的確に調べて伝えるだけでなく、自分の研究分野の枠を超えて、これから我々が何をすべきかを、さまざまなステークホルダーと一緒に考えなくてはなりません。
北海道大学では、北極や南極といった寒い地域での研究が歴史的に盛んに行なわれてきたことから、多様な分野の研究者と共に幅広い視野で研究ができることは大きな利点です。

グリーンランド西部のイルリサットにて。(2013年撮影、提供:杉山慎 教授)グリーンランド西部のイルリサットにて(2013年撮影、提供:杉山 慎 教授)

まずは氷河を観に現地に行って欲しい

気候だけでなく社会の変化も急激になり、10年、20年後にどのような社会に、環境になるのか展望が見えなくなってきました。若いみなさんに「将来、こうなるでしょうから、こういうことをぜひやってほしい」とは言いにくい。ただ、もし氷河の研究に興味があれば、ぜひ現地に行って氷河を観てください。
人工衛星から測定するだけでは見落としてしまうことがあり、先入観で全く違う説明をしてしまう危険性もあります。研究対象を宇宙から観たり、現地で観たりすることは、生物学で言えば、ひとつの生き物について生態を観たり、顕微鏡で細胞を覗いたり、遺伝子や分子で捉えようとすることに似ています。同じ観察対象をさまざまなアプローチで研究することはとても大事なことなのです。また、研究の技術も想像できないほど進化していくことでしょう。新しい技術を使った研究に挑戦し、その時のベストを尽くして欲しいと願っています。

【コラム】企業の研究者から、青年海外協力隊員を経て、大学の研究者へ

私は大学で物性物理学を学び、大学院修了後、群馬県にある企業に就職し光ファイバーの研究開発に従事しました。平日は研究に没頭し、週末は毎週のように近くの山へ。そのような生活をするうちに、自然や山に関する研究をしたいと考え始めました。そこで物性物理学の知識を氷に生かせると考えて、氷河の研究に挑戦しようと決めました。
会社を退職後、すぐには研究の道に進まず、2年間青年海外協力隊に参加し、ザンビア共和国で高等学校の理数科教員を勤めました。滞在していた2年間、英語で物理や数学の講義を毎日2、3コマ担当していました。日本語でも難しい微分積分や物理の運動方程式を、なんとか分かってもらおうと努力したことが、今の研究をわかりやすく説明しようとする意識につながったと感じています。

低温科学研究所の前で(撮影:広報課 学術国際広報担当 川本 真奈美)低温科学研究所の前で(撮影:広報課 学術国際広報担当 川本 真奈美)

ウェブ特集「気候変動に挑む」
氷河の底から探る、海洋・生物・社会への影響

[企画・制作]
北海道大学国際連携機構、社会共創部広報課学術国際広報担当
南波直樹(取材・撮影)
Aprilia Agatha Gunawan(撮影)
川本 真奈美(撮影)

[制作協力]
株式会社スペースタイム(文・動画編集)