【気候変動に挑む】北極域における生物多様性の変化を数理モデルで探る

北極域研究センター 博士研究員 アイリーン・アラビア

〈写真〉(撮影:広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門 Aprilia Agatha Gunawan)

15 questions for climate change researcher Dr. Alabia (with subtitles) - YouTube アイリーン・アラビア博士研究員に聞く、気候変動研究者への15の質問(字幕付き)

気候変動に伴って陸や海の生物分布が変化することが予測されています。北海道大学のアイリーン・アラビア博士研究員は、特に気候変動の影響を受けやすい北極域に着目し、生物多様性がどのように変化するのかを数理モデルによって予測しようとしています。生物の観測データや環境データを用いて、どのように短期・長期の傾向を予想しようとしているのか、お話を伺いました。

北極域は漁業の生命線

北極は南極と異なり、南極のような陸地はありません。その北極を取り囲む広大な海には多様な海洋生物が生息し、その多くは人の食糧として重要です。例えば、東ベーリング海は世界で最も生産的な生態系として知られ、大規模な漁業の基盤にもなっています。ところが、地球温暖化が北極域の様々な海域で様々な影響をもたらし、結果的に各地で漁業にも影響を与えると考えられています。

北極海域における2000~2019年の生物多様性の変化。上段は食物連の上位にある26種、下段は中間捕食者43種を示している。地図上の点は生物種が増加した地域を示す北極海域における2000~2019年の生物多様性の変化。上段は食物連の上位にある26種、下段は中間捕食者43種を示している。地図上の点は生物種が増加した地域を示す

過去のデータから現在と未来を予測する

私の研究では数理モデルを使って時間経過に伴う生物多様性の変化を明らかにしようとしています。まず、実際の魚の観測データや環境データを元に数理モデルを構築し、そのモデルを使って現在と未来の生物分布を予測するのです。より具体的には、生物種の出現データと気候データを用いて、まず各生物種の生息域を特定し、次にそれらが気候変動に伴ってどのように変化しているのかを解析しています。

このような統計学的な分布モデルは、将来の生物分布を予測するために役立ちます。より多くのデータ、より新しいデータをモデルに取り込むことで、予測の精度は上がっていきます。将来の気候条件下での生物分布を予測するために、精度を上げることはとても重要です。
私が使っているモデルの利点は、時間的・空間的に広範囲のデータを容易に適用することができ、気候変動の様々なシナリオに応じた予測ができることです。特定の海洋生物種について複数のシミュレーションを同時に行い、気候変動のシナリオに応じた生物多様性の変化を予測することができるのです。

温暖化が最も進むシナリオ(RCP85)における現在(1993-2017年)と将来(2076-2100)の魚類の分布【図中キャプション:現在:小型で短命の魚種(例:北極鱈)将来:大型で長命の魚種(例:スケトウダラ)】温暖化が最も進むシナリオ(RCP85)における現在(1993-2017年)と将来(2076-2100)の魚類の分布【図中キャプション:現在:小型で短命の魚種(例:北極鱈)将来:大型で長命の魚種(例:スケトウダラ)】

気候変動が北極域とその近海の生産性にもたらす影響

東ベーリング海は世界で最も生産的な海洋生態系の一つで、世界で最も大きなタラの漁場の一つでもあります。北極海周辺の海域と同様に、東ベーリング海でもここ数十年で温暖化が進み、海氷が失われています。私たちのモデルから言えることは、生物種によって気候変動への応答が異なるということです。例えば、暖かい水に適応した種は、以前には分布していなかった北の海域へと移動します。一方で、暖かい水に適応できなかった種は、より北方に移動し、以前の生息域からは姿を消す可能性があります。

1993年から2016年までの東ペーリング海における冷温適応種(ズワイガニ)と暖温適応種(タラ)の生息域の移動速度1993年から2016年までの東ペーリング海における冷温適応種(ズワイガニ)と暖温適応種(タラ)の生息域の移動速度

北極を挟んだ反対側にはバレンツ海がありますが、バレンツ海も非常に生産的な海で、漁業が大変盛んです。私たちが示した東ベーリング海における北極方向への魚種の移動は、バレンツ海でも起きることが予測されています。

単純なモデルが重要な予測を可能にする

私が使っているのは生物分布を示す単純な相関モデルです。ですが、例えばある海域で10年以上にわたって観測された魚のデータを用い、それらを環境温度などの非生物因子、そして時空間における一次生産性と関連づけて解析するのです。その結果として、それぞれの生物種が好む環境条件に基づいた分布マップを生成することができます。モデルが示した生息域の外では、その生物種が見つかる可能性は低いと言えます。新たな観測データが手に入れば、それを導入してモデルをさらに最適化し、その生物種が今どこにいるのか、どういった環境を好むのか、気候変動に伴って将来どこに生息するのかを予測することができます。

北極域で起きている生物多様性の変化について語るアラビア博士研究員
  (撮影:広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門 Aprilia Agatha Gunawan)
  北極域で起きている生物多様性の変化について語るアラビア博士研究員
(撮影:広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門 Aprilia Agatha Gunawan)

気候変動に伴い、それぞれの生物種が好む生息環境が移動したり消失したりしますので、そういった環境変化に適応できなかった生物種は残念ながら生息域を失う可能性があります。私たちのモデルもそのことを示しています。一方で、私たちのデータでは、各生物の生息域のごく一部しか捉えられていない可能性もあり、分布の変化を包括的に示せていない可能性があります。そのため、モデルを最適化するために、継続して調査とモニタリングを行っていく必要があります。

私たちの発見でもう一つ興味深いことは、過去29年の東ベーリング海では、2箇所で生物多様性の待避域となっている場所があるということです。これらの領域では、近年の気候変動にもかかわらず、生物多様性は増加し、群集構成が維持されています。この結果は、これらの領域がシェルターとして機能し、生物種を温暖化と海氷融解の影響から守っていることを示唆しています。

1990年から2018年まで東ベーリング海で見つかった2つの待避域(黒の実践で囲まれた部分)には、159種の魚と無脊椎動物が生息している。下のグラフはそれぞれの待避域に生息する生物群集の種類を示す
  1990年から2018年まで東ベーリング海で見つかった2つの待避域(黒の実践で囲まれた部分)には、159種の魚と無脊椎動物が生息している。下のグラフはそれぞれの待避域に生息する生物群集の種類を示す

自然は複雑でダイナミック

私は主に数理モデルの研究をしていますので、フィールドワークをすることはあまりありません。他の研究者が収集してデータベースに公開している観測データを主に使わせてもらっています。これによりシナリオに基づいた予測が可能になっていますが、こういったデータ解析から自然現象を説明できることは普通はありません。まだ知らないことが沢山あること、そして発見すべきことがまだ沢山残されているということは、私を謙虚な気持ちにし、かつ心躍る思いにしてくれます。

生物多様性のモデル研究で将来に備える

世界の多くの沿岸域では海産物が重要な栄養源になっています。島国であるフィリピンや日本では、その国や地域の文化とも密接に関係しています。海の温暖化が進むにつれ、私たちが主に食べてきた魚が姿を消し、別の魚に置き換わっていくかもしれません。例えば、日本で高級品として知られるズワイガニがそうです。ズワイガニは冷たい水に適応しているので、海の温暖化はその分布や生息量に影響を与え、漁業にも影響を与える可能性があります。海が温まると生息域が縮小し、また、これまで漁場だったところから移動してしまうかも知れません。実際、つい最近、東ベーリング海のズワイガニ量が大打撃を受けていることが報告され、気候変動との関連も示唆されています。

ベーリング海で採られたズワイガニ(提供:NOAA Fisheries 氏)
  ベーリング海で採られたズワイガニ(提供:NOAA Fisheries 氏)

数理モデルにより、気候変動に応じて生物分布がどのように変化するかを予想することができます。そのような情報は、海の保全や持続的な漁業のあり方を考えるのに役立ちます。また、急速な温暖化が漁業に与える負の影響を予測し、抑制することにも役立つはずです。例えば、漁業が崩壊すれば、食糧の消失といった社会的な影響に加え、仕事や収入の減少といった経済的影響も予想されますので、それらの対策を立てることが必要です。

好奇心と情熱が研究のカギ

自分で選んだ研究を進めることに情熱を持っていますし、それが仕事上の困難を乗り越えたり、新しいことを学び続ける原動力になっていると思います。気候変動によって生じる数々の問題を解決する一端を担いたいと思っています。そして、他の人たちにも私の研究について知ってもらい、特に若い人たちが興味や好奇心を持ってもらえたら嬉しいです。

研究者になろうと考えている人には、恐れずに自分の興味を探求してほしいです。単純であろうと複雑であろうと沢山の疑問を持ち、その答えが示す方向へと進んでください。あなたの情熱と好奇心が、もっと先に進むべきか否か、きっと答えてくれることでしょう。理解され、発見されるべきことはまだまだ沢山残っています。

コラム:知的欲求に突き動かされて

私は当初の想定と全く異なる形で大学を卒業しました。当初はプレメディカルコースで学んでいたのですが、卒業するときには海洋学に変わっていたのです。3年生の時、生態学の授業をとって海でのフィールドワークに出かけました。その時、私は海について何も知らないことを実感し、同時に海に魅了されました。海とその中に棲む生き物についてもっと知りたいと強く思ったのです。

それで専攻を変えたのです。卒業後は、海洋学の分野で仕事をしながら修士号をとるための勉強を続けました。仕事ではフィールドワークに出かけることが多く、大学院ではフィールドワークで得られたデータを解釈するための知識と手段を身につけることができましたので、とても良い組み合わせだったと思います。このことがさらに研究を続けていくモチベーションになったと思います。

(撮影:広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門 Aprilia Agatha Gunawan)
  (撮影:広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門 Aprilia Agatha Gunawan)

ウェブ特集「気候変動に挑む」
北極域における生物多様性の変化を数理モデルで探る


[企画・制作]
北海道大学広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門
Sohail Keegan Pinto(取材・文)
Aprilia Agatha Gunawan、南波直樹(撮影)

[製作協力]
株式会社スペースタイム(動画編集)