ハエの脳を研究して、ヒトの脳を知る

高等教育推進機構 助教 ミヒャエル・シュライアー

<写真>ISPの教員に加わったミヒャエル・シュライアー助教(撮影:広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門 Sohail Keegan Pinto)

北海道大学の「インテグレイテッドサイエンスプログラム課程(ISP)」の教員に、ドイツからミヒャエル・シュライアー助教が新たに加わりました。シュライアー助教は、革新的な行動分析ソフトウェアを開発し、それを使ってショウジョウバエの幼虫の記憶、意思決定、運動に焦点を当てた研究を行っています。

ショウジョウバエの幼虫は、単純な記憶しか形成せず、寿命も短いのが特徴です。この特性により学習や記憶形成の研究を行いやすいことから、シュライアーさんは、ショウジョウバエを使って経験が意思決定に与える影響について研究しています。「脳がどのように行動を組み立て、記憶が意思決定にどう影響するのか。そこに好奇心をそそられますし、どのニューロンがどの行動に関係しているかを知りたいと思っています。人間の脳は大きすぎてあまりに複雑ですが、それに比べショウジョウバエの幼虫の脳は単純で、ニューロンは1万個しかありません。さらに、その一つ一つを個別に制御できるため研究しやすいのです」とシュライアーさんは説明します。

シュライアー研究室にて(撮影:Sohail Keegan Pinto)シュライアー研究室にて(撮影:Sohail Keegan Pinto)
シャーレ、上部に固定されたカメラ、LEDライトのみで構成された光遺伝学実験のセットアップ。暗所で実験を行う。(提供:ミヒャエル・シュライアー助教)シャーレ、上部に固定されたカメラ、LEDライトのみで構成された光遺伝学実験のセットアップ。暗所で実験を行う。(提供:ミヒャエル・シュライアー助教)

光遺伝学と呼ばれる最新技術を用いると、光感受性タンパク質を用いて光で個々のニューロンの活性を簡単に操作することができます。ニューロンを活性化してハエの行動を観察したり、逆に、ニューロンを不活性化することで、どの行動に異常が現れるかを観察するといいます。

ショウジョウバエの幼虫は、ドーパミンニューロンが活性化されると異常な屈曲行動と、通常とは異なる方向転換を示す(動画の10秒から)。赤色が強いほど、体が鋭く曲がることを示している(提供:ミヒャエル・シュライアー助教)

ニューロンのなかでもドーパミンニューロンは、脳の賞罰系に関与していることはよく知られていますが、運動制御に関わっていることはあまり知られていません。「例えば、パーキンソン病では、運動制御ができないといった症状が見られますが、これは、ドーパミンニューロンの減少と関連しています。昆虫におけるドーパミンニューロンの役割はほとんどわかっていませんが、私たちは最近、ショウジョウバエのドーパミンニューロンを人為的に活性化させると、幼虫の体が曲がることを発見しました。体の屈曲を司るニューロンが、賞罰系ニューロンと学習・記憶に関わるニューロン、どちらのニューロンと同じなのかを解明したいです。ドーパミンシステムは、どの動物でも似たような働きをしているので、ショウジョウバエの脳を理解すれば、人間の脳の理解に一歩近づくのです」とシュライアーさんは話します。

ハエの飼育方法を説明するシュライアーさん(撮影:Sohail Keegan Pinto)ハエの飼育方法を説明するシュライアーさん(撮影:Sohail Keegan Pinto)

また、シュライアーさんは、ショウジョウバエの幼虫の行動解析ツールである「IMBA(Individual Maggot Behavior Analyzer)」も開発しています。「ショウジョウバエの幼虫はほとんど見分けがつかないため、特定の個体を追跡するのは難しいのですが、IMBAは他のソフトウェアとは異なり個体を識別することができます。各個体について90以上の特性を割り出し、詳細な分析をするためのデータを提示します」とシュライアーさん。幼虫の行動分析の可能性を拡げるIMBAは、無料で使用できるうえ、カメラさえあれば特別なハードウェアもいらないため、科学者の間でまたたくまに人気になっています。

前進速度を色で示したショウジョウバエ幼虫のアニメーション。ニューロンをオプトジェネティクスで活性化すると(動画の10秒から)、動物が後方に這うようになり、赤(前進運動)から青(後進運動)に色が変化する。(提供:ミヒャエル・シュライアー助教)

シュライアーさんの研究は、学部生時代、ショウジョウバエの幼虫におけるドーパミンニューロンの働きについて、当時最も有力とされていた見解に疑問を持ったことから始まりました。「ドーパミンニューロンは、刺激が『良い』か『悪い』か、例えば、匂いが『良い』か『悪い』かというシグナルを送るものであり、"美味しい食べ物"と"良い匂い"のような2つの『良い』シグナルを区別することはできないと聞きました。私には、その見解が不思議に思えて納得できませんでした。ドーパミンニューロンが良い信号の『質』を区別できることを証明するのに数年かかりましたが、これは、自分が成し遂げた成果のなかでも意義あるものだと思っています」とシュライアーさんは笑顔で話します。科学は飽きることがなく好奇心を満たしてくれ、非常にやりがいがあると語るシュライアーさん。科学に関心がある人たちへ「常に好奇心を持ち続けるよう伝えたいです」とメッセージを送っています。

ハエがいっぱいのシュライアー研究室の冷蔵庫。メンバーはここで楽しく研究に取り組んでいる(撮影
      :Sohail Keegan Pinto)ハエがいっぱいのシュライアー研究室の冷蔵庫。メンバーはここで楽しく研究に取り組んでいる(撮影:Sohail Keegan Pinto)

シュライアーさんは、理学部の新しい研究室の主任研究員として、ショウジョウバエの脳と行動、さらに、その根底にあるニューロンのメカニズムを解明するプロジェクトも指導しています。幼虫の学習や、記憶の持続と安定に糖がどう影響するか、また、幼虫が餌を探してその記憶を形成する際のアミノ酸の役割など、幅広いテーマで研究が行われています。詳しくは、シュライアーさんのウェブサイトに掲載されています。

シュライアー研究室では学部生からインターン、博士研究員に至るまで、幼虫一匹一匹の脳と格闘しています。

この記事の原文は英文です(Spotlight on Research: The road to understanding the human
brain goes through flies

【再編:広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門 長谷川 亜裕美】