<写真>工学研究院 小澤 丈夫教授(撮影:広報課 広報渉外担当 長尾 美歩)
札幌キャンパスの正門を入って「中央ローン」と呼ばれる芝生エリアを抜けると、クラーク像があり、その向こうには緑に囲まれた農学部の建物やハルニレの大木があるエルムの森が広がっています。緑豊かな札幌キャンパスの中でも特に景観の美しいこの南側エリアには、古河講堂をはじめとする歴史的建造物が佇んでいます。2023年9月、その1つである旧昆虫学及養蚕学教室が保存改修され、ワイン教育研究センターとして生まれ変わりました。
登録有形文化財の保存改修
1901年に建てられた旧昆虫学及養蚕学教室は、登録有形文化財に指定されています。登録有形文化財は、外観はオリジナルを保つことを求められますが、屋内は自由に改変して良いとされる文化財です。有形文化財のうち、重要文化財はさまざまな制約により活用したくても現代の使い手にとっては使うのが難しいというジレンマがあります。その点、登録有形文化財は建物自体を「活用する」ハードルがぐんと低いといいます。
これまで、旧昆虫学及養蚕学教室はさまざまな用途に使用されてきました。かつてはインフォメーションセンターとして使われていたこともあり、建物の中は、さまざまな間仕切りが設置され、天井にはオリジナルのものに被せる形で板が張ってあったといいます。保存改修計画を手掛けた工学研究院教授 小澤丈夫さんは改修前の状態について「建物の特徴と歴史的価値が生かされずに使用されていた」と話します。
小澤さんによると、建物の改修には多額のお金がかかるものの、こうした古い建物にはなかなか改修費用がつかないといいます。最先端の研究設備を求める大学のニーズと歴史的建造物がマッチしないというのがその理由の1つです。では、なぜ今回の改修は実現したのでしょうか。その裏には、西邑隆徳副学長(元・農学研究院長)の強い想いがあったと小澤さんは話します。「かねてからこの建物の保存活用の方策について頭を悩ませていたところ、西邑先生がある日突然私のところにやって来て『旧昆虫学及養蚕学教室を改修して、ワイン教育と研究の拠点という新しい使い方をしたい』と夢を語られました。それがワイン教育研究センターです。そのセンター構想を、北海道や民間と共同で行う新しい事業と位置づけ、150周年記念事業として学内の理解を得ました。そして、それを文部科学省へ持って行ったんです。その結果、北大の周年事業であり、新しい地域貢献のための施設という強いコンセプトに文部科学省が賛同し、改修への支援が決まりました。これまでになかった画期的なことです。」
この事業の実現に向け学内外を奔走した西邑副学長は、その思いをこう語ります。 「旧昆虫学及養蚕学教室は、豊かな緑に囲まれていて近くにはクラーク像があり、キャンパスを訪れた人が自然と誘われるエリアにあります。しかしながら、その歴史的価値を共有できる状態ではありませんでした。私たちは、先人たちのおかげでこの美しいキャンパスを享受しています。では、自分たちは未来に向けて何ができるだろう。そう考えたときに、明日の農業を夢見た明治の若者たちが熱い思いを抱いて学んだ場所を再生して未来につなぎたい、歴史的な価値の上に新たな機能を付与して活用しながら後世に残したいと思いました。ワインを手に、この建物の周りに自然と人々が集い語り合う、穏やかで豊かな空間がある未来を考えました。」
文化財の価値を残しながら、次の100年に耐える建物へ
文部科学省と寄付者からの支援を受けて、ワイン教育研究センターへの改修が始まりました。プロジェクトチームには小澤さんの研究室の学生も参加。過去の資料をあたって歴史的価値を調べ、建物の現況調査を行いました。
調査で天井裏を覗いたところ、残っていたオリジナルの板貼り天井が発見されました。意匠の一部は破損していましたが、残っていた部分をもとに全体を復元。建設当時にデザインされた透かし彫りのモチーフがシャンデリアベースとして蘇りました。
この建物の特徴的な要素の1つに「色」があります。窓枠を彩る淡いグリーンは、紙やすりで一番古い層を削り出して見つけたそうです。プロモーションホールの天井や壁の腰板の色も、同じ方法で当時の色を復元しています。
建物中央部に位置するギャラリースペースの天井は、梁が見える仕様になっています。建設当時は見えていなかったこの梁を、小澤さんは敢えて見せることにしました。「ここには漆喰の天井がありましたが、非常に状態が悪かったため、おもいきって取り払いました。梁は1901年当時のままです。この梁にはいろいろな材木が継ぎ足しで使われています。この建物に限らず、当時の建築物では、様々なところから材木を寄せ集めて使っていたようです。そうした習慣を見せることで、時代性を感じることができるのではと考えました。」
建物は上から見ると横に長いH型の形をしています。その4つの隅それぞれに、鉄製のやぐらが設置されました。さらに、建物中央部の天井には鉄製の筋交(すじかい)が巡らされています。これらの鉄材で、建物を内側から支えて耐震性を確保しているといいます。建物の基礎部分は耐震性に優れないレンガ造りですが、補強するには多額の費用がかかるそうです。加えて、耐震強化のためにはずらりと並ぶ窓の一部を塞ぐ必要がありました。建物の特色となっている窓を塞いでしまえば、外観が大きく変わってしまいます。そこで小澤さんは、耐震性とコストや外観を両立するために「外は柔らかく保ったまま、内で支える」という方針を取り入れ、内側から鉄材で補強することにしました。
近代的な鉄材をそのまま見せる方法には賛否両論あるといいますが、「はっきりと補強材が見えれば、後世に追加で補強が必要になったとき、どこに手を加えれば良いかがすぐにわかる」と小澤さんは説明します。「木造建築は何百年も使えるものです。今回の改修計画を立てる過程で、100年受け継がれてきたこの建物の次の100年について考えるようになりました。その結果、触りやすく、変えやすい仕様に至りました。」
「北大の原風景」を開かれた場へ
小澤さんはこれまで、ワイン教育研究センターのほかにも旧農学部図書館書庫(ワイン教育研究センター隣り、1902年建設)の改修なども手掛けてきました。そして今は、古河講堂(クラーク像向かい、1909年建設)の改修を視野に入れています。最先端の研究環境が求められる大学のニーズに、歴史的建造物は一見フィットしないように思われますが、小澤さんはこう話します。「大学は教育研究の場であると同時に、その成果を世の中に還元して共有する場でもあります。外の人々と接点を持つ場として、歴史的建造物はとても魅力的です。ワイン教育研究センターの周りには他にも歴史的建造物があり、中央ローンには、かつて枯渇したサクシュコトニ川が再生されています。まさに北大の原風景といえるエリアです。改修が待たれる古河講堂も、まずは新しい使い方を見出すことが重要です。原風景を蘇らせたこのエリアが大学の外の人たちとの交流の場になっていけばと思います。」
北大の原風景を残すキャンパス南側のエリア。歴史的建造物の利活用により更に外へ開かれ、より多くの人に親しまれていくことでしょう。
【文:広報・社会連携本部 広報・コミュニケーション部門 長谷川 亜裕美】